週末和菓子職人目指して、今日もねりきり練習中です。
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さて、FIREとは、「Financial Independence, Retire Early」の略で、経済的自立と早期リタイアの両立のことですが、最近、「FIRE卒業」なる記事を見つけました。
どういうものかというと、こちら。
「働く」ことから卒業したのに、「働く」ことに逆戻りした&せざるを得なくなったというもの。
自由を求めてたのに結局不自由に戻ってしまうなんて、なんて夢のない話なんだ、、、
と思いましたが、よく読んでみると、「働く」ことに逆戻りしたのは、自由気ままな生活だと飽きがきてしまい、何のために生きているのか分からなくなり、生きがいを求めたくなったためとのこと。
はぁ、そういうもんですかねぇ。。。
まず、『FIRE卒業』できる環境があるというのは素晴らしいことですね。
働くことを一定期間辞めてからまた働けるということは、世の中に仕事がありふれてるということですから。日本ってすばらしい。
個人に仕事の選択の自由があるわけです。
しかし、仕事の選択の自由度、自由の幅はFIREした人の方がしていない人よりも断然広いと思います。
なぜなら、経済的に自立しているから稼がなきゃいけない金額に縛られることなく、低賃金でも面白い仕事を選ぶことができるからです。
仕事に執着する必要はなく、その分プレッシャーやストレスからも解放された状態が続くはずです。
なので、やはりFIREはすべきであり、自分の中では変わらず達成すべき目標です。
次に、FIREしたとしてどう過ごすのか、「生きがい」をどこに求めるかは個人の趣向次第なので、一概に言えない気がしますが、とても重要な要素ですね。
人間である以上、人との関わりは必要ですが、この関わりがそもそものストレスの真の原因であったりします。
ストレスのほとんどが、嫌な上司がいるとか、他人の発言に傷ついたとか、全然自分より仕事してないあの人がなぜか自分より評価されてるとか、他人がいるからこそ発生しているように思います。
会社員はそれこそ人との関わりの真っ只中なので、毎日ストレスにさらされており、FIREして会社から離れることができればそのストレスからも解放されるはずです。
ただ、ブッダですら人との関わりを遮断して山にこもった挙句、結局下山して説法して回ることで人との関わりを持ったように、いつの時代も人との関わりは完全に断ち切ることはできないのでしょう。
(ブッダの時代にSNSがあったら、ブッダは下山はせずとも山の中からSNSで教えを発信して他者との関わりに明け暮れていたことでしょう。たまにzoomでウェビナーやったり、Youtubeライブ配信とかやって、それこそ投げ銭とかもらってたかもしれない。。。)
というわけで、『いきがい』というものは人との関わりで発生するという前提で書いてしまいましたが、人との関わりはストレスの根源でもあるという側面を踏まえると、「人との関わり」というのは『程度』が大事ということになるかなと。
『人との関わりの程度』とは、つながる人の人数、つながる人の属性、グループ、コミュニケーションの頻度等々、これらの強弱のことです。
少なくとも会社員では『人との関わりの程度』の選択の自由はありません。
嫌でも上司との会議はあるし、怖いお客さんや愛想悪くて感じの悪いメンバーと話さないといけないし、飲み会は断れないし、次から次へと異なるチームとの会議を組まれるし・・・
反面、FIREすると、『人との関わりの程度』の選択の自由を得られます。
好きな時に起きて好きな時に外に出れば良いわけですから。
どう考えてもFIREすべきなのです!!!
と、ここまで書いてきてふと思いましたが、『FIRE卒業』って個人的にはセンセーショナルな単語だったのですが、『卒業』の定義って良く分からないですよね。
経済的自立は継続したまま、いつでも辞められるという束縛から解放されたマインドを持った状態で、自由に職を選び再び働き始めるというのは、FIREのただの延長なだけではないでしょうか。
FIREしていない人に比べて圧倒的に自由です。
個人的には『いきがい』よりは『やりがい』を求めていきたいです。
僕は『やりがい』をどこで感じるかというと、一例としては自分が作ったねりきりを喜んで食べてもらった時、ですね。
ただ、こればっかりやっていて生活できるレベルに今すぐ到達できるかというと疑問符がつきます。
なので、FIREのFI(経済的自立)はしっかり達成した上で、この『やりがい』に対し全力投球するのが、ストレスフリーでとっても重要なのです。
というわけで、FIREに向けて明日からも株もねりきりも頑張るぞ!!!
というお話でした~~