先日のお茶のお稽古での掛軸の話。
軸は、とても短い言葉ですが、そこに込められているメッセージ性がとても強く、なんとも味わい深いもので、毎回のお稽古で大変楽しみにしています。
で、先日の掛軸がこちらでした。
『一日不作一日不食』
軸はたいていとても達筆な字で書かれているのですが、元々の字形の面影がほとんど残っておらず、素人の自分にはなんて書いてあるのかいつも分かりません。。。
しかし、この字はなんとか読めました。
いちじつなさざればいちじつくらわず
おー、なるほど、なんとなく意味が分かるぞ。
「働かざる者食うべからず」ちゅーことかな。
というわけで、先生に
「働けってゆうことですね!」
と聞いたら、それはちょっと違うとのこと。
その日1日のやるべき務めを果たしていないなら、食事にはありつくことなんてできない、ということらしい。
元々は、中国の唐の時代のお坊さんである「百丈懐海(ひゃくじょうえかい)」さんのお言葉とのこと。
こちらがwikipediaによる説明です。
以下抜粋です。
百丈による教え。「一日作さざれば一日食らわず」、出家者にとって労働は一番重要な修行とし、労働しないなら食べることは出来ない、同時に労働することを通して豊かな人間性も育まれていく、という自らを律した自発的な言葉。
「一日不作」の「作」は、作務すなわち労働のこと。百丈が高齢の時も、毎日の食物は自ら生産し、日々の耕作労働を率先していた。弟子たちが、見かねて農具を隠して休息を願った。百丈は農具を探したが見つからず、その日の食事をとらなかった。弟子たちは師匠に、「なぜ食事を召し上がっていただけないのですか?」と尋ねた。百丈が「一日作さざれば一日食らわず」と答えた。以後、弟子たちは師匠の労働を止めることがなかったという。(出典:Wikipedia)
このエピソードはなんとなく聞いたことがありますな。
禅宗のお坊さんなので、行(修行)を重んじています。
行(修行)は、その日1日にやるべき務めであり、仏道の実践であるわけです。
そのやるべき務めである畑工作=行(修行)を、農具を隠されたためにできなかった。
その日にやるべき務めを果たさなかったのなら、お坊さんの本分である仏道の実践ができていないことになるので、食事をする資格なんてない、というお話。
畑工作って傍から見れば労働やん?
やっぱ働けって話なんじゃ?
と思ってしまうのですが、ここは自分の解釈がおかしいらしい。
労働、仕事、働く、、、これらの言葉に惑わされてる気がします。
サラリーマンは週5日労働して、その報酬として給与をもらっています。
この週5日の労働を、仕事とか働いたとかいう言葉も使ってますね。
なので、労働、仕事、働く、というのは、報酬としての給与が付いて回ることを指している気がします。
一方、お坊さんは、週5日ではなく、毎日行(修行)をするべきで、これが仏道の実践であるわけです。
これはお坊さんの職分です。
しかし、これをしたからといって会社から給与を与えられるわけではありません。
(対価をもらうという概念ではない。)
普通のサラリーマンなら、週5日勤務(労働)のうちでやった時間に対して給与が支払われますが、週2日はお休みです。
でも、サラリーマンであっても、労働以外に毎日やるべきことはある気がします。
例えば、週5日働くために毎日の健康管理をしっかりする、世界情勢を把握するために毎日新聞をチェックする、スキルアップのために勉強する、こういったことは休みであろうとするべき務めである気がします。
そもそも人間である以上、掃除する、洗濯する、身なりを整えるとかは日々やるべきことですよね。
人によっては、筋トレする、ストレッチする、ヨガをする、外国語の勉強をする、ジョギングする、ペットに餌をあげる・散歩させる、とかがあるかもしれません。
これはやるべきことという表現よりは、日課、のがしっくりきますかね。
ルーティーンですね。
(なので、労働、仕事、働く、という言葉とも違いますね。)
日課はちゃんとこなしましょう。
詰まるところ、こういう意味でしょうか。
というわけで、自分に置き換えると、以下は日課としてちゃんと実行していきたいものです。
・筋トレ
・茶道(お点前)の自主練
・株式市場のチェック
でも、やるまで食べれないはちょっときついので、
『一日不作一日不寝』
(やるまで寝ちゃだめ)
かな。。。
ほんとは以下も日課にしたいのですが。。。
・練りきり制作
・絵
・韓国語の勉強
・ブログ更新
スキマ時間を上手く使ってやっていきたいものです。
さぁ、日課に取りかかろう。